世界に誇る歴史と文化の天草島
2018年、ユネスコは天草と長崎の潜伏キリシタン関連遺産を世界遺産に登録しました。(上の写真は、世界遺産登録記念の神道、仏教、キリスト教の平和の祈りの時の記念写真)
いまから400年前の天草は、西洋と東洋の文化が交じり合う国際都市でした。
この島に西洋の学問と文化を学ぶ最高学府コレジヨがあり、ローマ教皇に謁見した天正少年使節団が学んだのでした。
しかし、その後キリシタン禁教令がしかれ、日本史上最大の天草島原の一揆が勃発し、島民の半数が亡くなりました。
その後、キリシタンは消えたかのように見えましたが、禁教令下であるにも関わらず仏教徒と神道の氏子たちと潜伏キリシタンが共に暮らして漁業、農業を営み、貧しい中にもお互いを尊重して生き抜いた天草の先人たちの歴史がありました。
もし、潜伏キリシタンが存在が分かれば、即刻処刑されるのはもちろん、密告者には多額の報奨金が与えられていた時代、1613年(慶長18年)キリシタン禁教令(正式名は「伴天連追放之令」)が敷かれて江戸時代が終わった1868年(慶応4年)の255年間、天草の人々はだれ一人潜伏キリシタンを密告することなく、その命を守ったのでした。
江戸時代後期の1805年(文化2年)に、いわゆる天草崩れ(あまくさくずれ)では、隠れキリシタンの検挙事件で、はじめて公に潜伏キリシタンの存在が発覚しましたが、その数5千人余りいました。
江戸時代の禁教令下で、これだけ多くの潜伏キリシタンが誰一人処刑されることなく生き延びたのは、たとえ異国の宗教であろうとも人として尊い命であることに変わりはなく、その命を守り抜いた天草の先人たちの心があったからです。
信教の自由と平等は、いまでこそ世界の標準的な価値ですが、徳川封建時代に異教徒の命を守り抜いた天草の先人たちの平等精神には目を見張るものがあります。
そのような先人たちの築いた素晴らしい天草の歴史と文化を土台にして、これからさらに私たちは世界で最も幸せな島・天草を実現していきます。
20年先の未来を見すえた勉強会
私たちが目指すのは、天草の子供たちが世界に誇れる幸せな島・天草を作ることです。
いま現在の問題を解決するだけではなく、20年先の未来の子どもたちが笑顔で幸せに暮らす種を、いまから蒔いていくことです。
「そのために私たちに何ができるか?」
その視点で天草と日本と世界を見ると、大きな潮流にのることができます。
世界の潮流は、20世紀までの自由・平等・平和という土台の上に、21世紀はかつてない長寿社会に向かっています。日本は、その最先端の長寿社会です。物の豊かさだけでなく、心が豊かな長寿社会です。
私たちの未来図は、世界のモデルになる幸せな高齢社会をこの天草に実現することです。
そのために、目前に迫る様々な問題を解決するため、住民が主体となりこの島を成長発展する場を提供していきます。
私たち天草地域総合研究所では、市民が主体となり成長発展する地域を作る勉強会を開催しています。
会員の有無を問わず、誰でも勉強会には参加できますので、事務局へお問い合せください。